福岡県久留米市の就労継続支援A型事業所「TANOSHIKA」で、Webライターとして活動していた花婉昴蕗(かえんすばる)さん。
同社のメディア「AKARI」で1000記事以上を執筆。2026年7月に同事業所を退職し、現在もnoteで発信を続けています。
なぜ、そこまで書き続けられるのか。
2025年10月の取材を通して見えてきたのは、「誰かの希望の光になりたい」という揺るぎない思いでした。
記事制作へのこだわり。
社会との向き合い方。
そして、言葉に託す願い。
今回は、花婉昴蕗さんが考える「書くことの意味」を、取材当時のお話をもとにお届けします。
プロフィール:言葉をAKARIにするWebライター
2021年10月11日にWebライターとしての活動を開始。
TANOSHIKA在籍時には、同社のメディア「AKARI」で1019記事、noteで推定1000記事以上を執筆していました(2025年10月時点)。
左耳感音性難聴や発達障害(ASD・ADHD・LD)などの特性を抱えながら、言葉と向き合ってきました。
在籍時には、上司と対面で密にコミュニケーションを取りながら、記事制作に取り組んでいました。現在もnoteを通じて、ご自身の経験や関心のあるテーマについて発信を続けています。
▶ 賞状がくれた「驚き」と「自信」
FeatU
文章を書くようになったきっかけは何だったのでしょうか。
花婉昴蕗
始まりは2006年、ネット掲示板でのコメントのやり取りです。
その後、mixiのコミュニティでも交流するようになり、文章を書くこと自体が趣味になり、楽しさを知りました。
2009年からはブログも書いていて、2023年春頃まで続けていました。
Webライターデビューは2021年10月11日です。Webライターとブログを一時期並行していました。
大きなターニングポイントは、中学生のときです。
歴史が好きで、歴史をテーマにした作文コンクールで賞を受賞したんです。
その賞状を見た両親が、
「賞なんて取れるなんて思ってなかった」
と、すごく驚き、そして喜んでくれました。
その驚きが今でも心に残っていて、
「自分にもできることがある」
という自信になりました。
▶ 社会との断絶から、「家族を支えたい」という思いへ
FeatU
子どもの頃はどんな子でしたか。また、社会との断絶を感じたのはどのようなときでした
か。
花婉昴蕗
子どもの頃は落ち着きがなく、遊園地に行っても両親の目を盗んで、すぐいなくなってし
まう子でした(笑)。
でも、Web ライターの仕事では、発達障害の特性である「過集中」や「こだわり」を活か
し、記事を書くために座っていられるようになりました。
社会との断絶を感じたのは、発達障害と診断されたときです。
情報がなかったため、
「自分だけが苦しんでいる」
「稀少な障害なのかもしれない」
と絶望し、約10 年間引きこもりになりました。
学生時代に唯一つながっていた友達とも疎遠になってしまいました。
mixi で他の友達の楽しそうなやり取りや、Facebook で“キラキラした投稿”を見ると、劣等
感と寂しさで心が沈んでしまい、ブロックしてしまったこともあります。
状況が変わったのは、父が怪我をしたのがきっかけでした。
「家族を支えたい」
「働かなきゃ」
という強い決意が生まれました。
劣等感や寂しさといったネガティブな感情ではなく、「家族を支える」という使命感が、
私を突き動かしました。
▶ 「過集中」と「こだわり」を、書く力に変える
FeatU
Web ライターの仕事に出会ったきっかけと、仕事で意識してきた工夫を教えてください。
花婉昴蕗
以前はものづくりのA 型事業所で働いていましたが、全然成果が上げられず、モヤモヤし
ていました。
そんなとき、TANOSHIKA の求人を見て、パソコンを使う「Web ライター」という仕事
を知り、
「これだ!」
と強く惹かれたんです。
パソコンを使う仕事に就くことへの難しさも感じていましたが、どうしてもやりたかっ
た。
仕事では、自分の発達障害の特性を逆手に取っていました。
「過集中」と「こだわり」があるため、放っておいても書けるくらい、この仕事が好きな
のです。
TANOSHIKA では、4 時間の勤務時間の中で、4〜5 記事を書き上げることもありまし
た。
記事の情報収集だけでなく、タイトルとアイキャッチを見て、内容がすぐ理解できるよう
に意識していました。
タイトルとアイキャッチが合っていること。そして、記事の内容とも合っていること。
そうした部分を細かく工夫していました。
会社のルールが変わっても、記事の情報を探すときに、タイトルで内容を判別できるほど
の確固たる土台が、実務を通して築けたと思います。
▶ 誰かの心を照らす「光」としての言葉
FeatU
障害や病気、社会課題を、記事ではどう言葉にしていますか。
花婉昴蕗
私自身、複数の病気や障害を抱えています。
当事者だからこそ、誰かの心の灯りになれたらいいなという思いで書いています。
AKARI のバナーにある“暗闇の中に灯る光”のように、生きづらさや心の苦しさに寄り添う
記事を届けることが私の使命です。
しかし、このテーマは非常に難しく、何度も壁にぶつかっています。
以前、とある障害について書いたとき、
「少し違う」
とのご指摘を受けました。
私は寄り添っているつもりでしたが、書くことで傷つく人がいること、知らないことがか
えって相手に寄り添うことになる場合もあると痛感しました。
1000 記事以上書いても、このテーマの難しさに力不足を感じています。
だからこそ、糖尿病の薬害や、難病の原因に関する最新ニュースなど、
「少しでも社会に広めていきたい」
「誰かの希望の光になりたい」
という強い思いで、記事を書き続けています。
▶ 「希望の光が見えた」という言葉が届いた
FeatU
読者に届いたと感じた瞬間について教えてください。
花婉昴蕗
たくさんコメントをいただいているわけではないのですが、読者に届いたと感じたエピソ
ードはあります。
遠位型ミオパチーの治療薬のニュース記事を、AKARI の公式X で紹介したところ、
「希望の光が見えた」
とコメントをもらえたとき、本当に嬉しかったです。
映画『わたしのかあさん ―天使の詩―』について記事にした際、映画の公式サイトで
「AKARI で紹介された」と書いてくれたこともありました。
note では、自身の病気である汗疱皮膚疾患について書いた記事が、当初は読まれなかった
にもかかわらず、その後、よく読まれる記事の一つになりました。
AKARI で支援団体の記事を書いたことで、
「取り上げてくれてありがとう」
と言われたことも、私にとっての“共感”です。
▶ 当事者の声に、もう少し歩み寄れる社会へ
FeatU
これから、どんな文章を書いていきたいですか。また、社会に望むことはありますか。
花婉昴蕗
正直、複数の病気が重複して影響が出るので、10 年後のことは考えていません。
ただ、障害をお持ちの方や発達障害の方に深く取材して書けるライターにはなりたいで
す。
社会については、当事者が一生懸命発信しても、世の中では障害に対してネガティブな意
見も多く、どうしても他者との乖離があると感じます。
心の病気は誰でもなりうるものです。
後天的なものは、他人事ではありません。
偏見は多いですが、
「誰でもなりうる病気だ」
と意識してほしい。
そうすることで、歩み寄りが必要だと感じています。
建設的に議論し合い、この問題を深めていけたらと思います。
▶ デザイナーの「見えない努力」にも、光を当てたい
FeatU
最後に、この記事の読者に届けたいことはありますか。
花婉昴蕗
私はデザインのことは詳しくないですが、TANOSHIKA にはライター、デザイン、コーデ
ィングの仕事があります。
TANOSHIKA に就職したくて体験に入ったときに、デザイナーさんから名刺を作ってみな
いかと言われて。
作ってみたら、
「すごいね」
と言われて、嬉しかったことがあります。
デザイナーさんはプロフェッショナルですごい。
見えない努力をしているし、心を動かされるデザインを見たときに感動し、尊敬していま
す。
今後はライターとしてだけでなく、デザインについても応援していきたい。
FeatU のようなメディアが、そうしたデザイナーさんの“見えない努力”に光を当ててくれ
ることを期待しています。
FeatU
本日はありがとうございました。
誰に何を届けるかを考え、言葉を選び、伝わる形に整える。そのお仕事には、デザインと
も通じる大切な視点があると感じました。
これからも、花婉昴蕗さんの発信や、その背景にある想いをご紹介できればと思います。
花婉昴蕗
ありがとうございました。
編集後記
「誰かの希望の光になりたい」
花婉昴蕗さんのお話から伝わってきたのは、書くことへの情熱と、言葉を受け取る人に誠実に向き合おうとする姿勢でした。
伝えたいことがあっても、それが相手にどう届くかは、簡単には分からない。寄り添おうとして書いた言葉が、誰かを傷つけてしまうこともある。その難しさを知りながら、学び、考え、書き続ける姿が印象に残っています。
良いデザインが人の心を動かすように、良い言葉もまた、誰かの人生に小さな光を灯す。花婉昴蕗さんが積み重ねてきた1000以上の記事には、一つひとつ、その願いが込められているのだと思います。
誰に、何を、どのように届けるのか。その問いに向き合うことは、私たちが大切にしているデザインにも通じます。
言葉もまた、人の体験をつくるデザインである。
そう感じさせてくれるインタビューでした。